伊勢手延べ麺をお届けする麺匠勢州庵|カネスエ製麺所

伊勢手延べ麺の歴史

伊勢の国周辺図

 

伊勢の国(いせのくに)について

現代において伊勢とは、あの伊勢神宮が鎮座する三重県伊勢市を連想する人が多いと思われます。

ところが、もともと「伊勢の国」とは7世紀頃に制定された律令国の区分で、現在で云うところの三重県伊勢市だけでなく、三重県北部、中部を含む大変広い範囲にわたる地域を指す地名(国名)でした。

また、伊勢の国の別称として勢州(せいしゅう)とも呼ばれました。

伊勢の国は、平安時代中期に書かれた「延喜式」の分類によると国力では諸国4等級のうち最上格式である大国(大和国、河内国、伊勢国、武蔵国、上総国、下総国、常陸国、近江国、上野国、陸奥国、越前国、播磨国、肥後国)13国のひとつ。

同じく「延喜式」には京からの距離によって3分類されておりますが伊勢の国は「近国」とされておりました。

麺づくりの素養

伊勢の国の国府(今でいう県庁)は、弊社所在地の周辺にありました。

伊勢の国、国府があった町、鈴鹿の地。

「人と文化」の要素は日本国家の幕開けに呼応して備わっていました。

それでは、他に「麺づくりに大切な要素」は何でしょうか?

「豊かな日本の風土から生み出される恵み」です。

今で云う鈴鹿連峰より湧き出る清廉豊富な水と、季節風を程よく遮る地形そして伊勢湾よりもたらされる湿度を適量に含んだ風等の自然条件に恵まれ、かなりの昔より小麦が栽培され水車製粉も盛んに行われたといわれています。

都から東国に下る街道の要衝にあって、手延べ製麺の条件をすべからく備えたこの地に立ち寄った識者が、その技法を教えたという言い伝えはうなずけるものがあります。

そして現代の麺、さらに未来の麺へ…

この流れを継承しつつ、現代の消費者の要求に応え得る、歴史ある手延べ麺を創るか・・

日々食品としての手延べ麺を目指し製造方法の改良を重ね、衛生管理と品質管理に心血を注ぎ、その技術練磨の結果として、他の生産者にさきがけ「手延べ半生麺」の完成を見ました。

たぐい稀な「のどごし」と「豊かな小麦の味わい」 私たちは、この麺を「伊勢手延べ麺」と命名しました。

伊勢手延べ麺とは、まさにこの地ならではの麺であり、この地唯一の麺としてお客様の絶賛をいただいております。